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8月, 2011 のアーカイブ
Census Night (オーストラリアの国政調査の日)
本日8月9日はオーストラリアの国政調査の日です。今日オーストラリアに居る人は、旅行者でも、ただの通りすがりでも国勢調査に参加しなければなりません。今から一週間ほど前のことですが、アパートのドアの前にCensusに記入用紙が置かれていました。
戸籍のないオーストラリアでは、この国政調査が唯一国民について把握する機会です。この調査によってその地域に居住する人口の構成、年齢、性別、宗教、などを把握します。この調査はオーストラリアに住んでいる人の義務です。この調査にもとづいて政府は教育、鉄道、道路などのインフラの整備や医療、福祉などの将来への計画に役立てます。
この国勢調査が始まって100年を迎えました。100年前と今ではオーストラリアの人口構成、さらに社会意識などもすっかり変わったと思います。100年前と言えばそれまでイギリスの植民地だった国(現在の州)が、連邦を構成しひとつの国として誕生してすぐの頃です。
オーストラリアは移民の国と言われていますが、その頃はヨーロッパからの移民が殆どでギリシャ人やイタリア人でさえ珍しがられた頃です。他のヨーロッパからの移民が増えたのが第2次世界大戦後、わずか60年ぐらいしかたっておりません。今では4人にひとりは外国生まれと言われています。ここには12戸アパートがありますが、どの家庭でも英語を話している家はありません。
国勢調査の内容も、この100年と言うか私が来てから20年でもかなり変わったような気がします。特に今回の調査からは、同性同士のカップルも配偶者としてみとめられることになりました。まだ州によっては同性同士の結婚は違法の所もありますし、認めていない宗教がほとんどです。
記入が住んだら、係の人が数日後の集めに来ます。また今年からインターネットでの記入も出来るようで我が家ではインターネットで記入しました。調査用紙には住宅毎に認識できるように番号がつけられています。もし用紙に記入しないと罰金の対象になるようです。
オーストラリアに来ている旅行者やわーほり、学生の皆さんも記入が義務づけられていますので、もし分からない人は誰かに聞いてでもご協力お願いします。ホームレスの人達も係員の人達が聞き取り調査の形で記入するようですが、車で移動しながら旅行してる私の友人など、どのようにして国政調査の対象になるのでしょうね。
2011/08/09 at 9:37 PM
Pole to Pole Run (北極から南極まで)
一ヶ月ほど前にパリから上海までマラソンで走る羽鳥兼一さんの 『チャレンジユーラシアマラソン』についてご紹介させて頂きました。走行距離は15000KMを一年かけて走行される予定ですが、8月3日現在で約1300KM、スロバキアあたりのようです。
さて今回はこれにも負けないマラソンランナーを紹介したいと思います。北極から南極まで毎日80KM以上(フルマラソン二回分)を走り続けている人がいます。その人はPat Farmerというシドニー生まれのオーストラリア人で2001〜2010年まで自由党選出の下院の国会議員を務めていたこともあります。
彼のウルトラ長距離マラソンランナーとしてのキャリアーは昨日始まったものではありません。1993年まだ無名の頃、初めてトランスアメリカロードレースに出場して2位になりました。1998年にはシドニータワー(当時南半球で一番高いタワー)の階段を24時間走行し続け(上がったり下がったり)ました。それはエベレストに一日でマラソンで登ったのと同じ高さになりました。
1999年にはトータル10の国際記録を残しました。その中には10000kmを121日で走破する世界新記録や、オーストラリアを(14,662.4km) を191日間10分でマラソン一周した最短記録などがあります。その殆どが彼個人への挑戦だけではなく、ガン撲滅をはじめすべてチャリティーを目的にしています。
今回の 『Pole to Pole Run』はこれまでの中で一番長い距離ですが、全部で5つのステージに分かれています。4月12日に北極点をスタートしてから40日間、カヤックを引きながら走破した北極海の第一ステージ。カナダに入りアメリカ、メキシコを抜けてパナマまでの第ニステージ。
パナマからコロンビアまでジャングル(道路がありません)の中をカヌーなどで抜ける第三ステージ。南米をコロンビアから最南端ティエラデルフエゴまで走行する第四ステージ。最後が南極点までのトレッキングになります。
一日にフルマラソンを二回するのも大変なことですが、北極や南極はマラソン以上に大自然への挑戦もあります。さらに第三地帯はドラッグディラーのルートにもなっており、戦争地帯と同じように大変危険な地帯です。これにも負けずレッドクロスへのチャリティーのために走り続けます。
遺伝子マウフ煙にした先日メキシコからインタビューに応えていましたが、彼のサポートチーム以外に特別にメキシコ政府の支援で、前後に2台づつ警察、軍隊の車が無料で警備にあたっているそうです。インターナショナルのチャリティーのためにマラソンランニングしている人がメキシコ国内で被害にあったら、国のメンツが立たないと言うわけだそうです
『チャレンジユーラシアマラソン』の羽鳥兼一さん、そして『Pole to Pole Run』パットファーマーさん。お体に気をつけて無事に完走されることを願っています。
Pole to Pole Run
2011/08/08 at 2:35 AM
さようなら原発 1000万人アクション
昨日紹介した『さようなら原発 1000万人アクション』について少しお話したいと思います。と言うとまるで私が関連しているようですが、私は署名したひとりというだけです。原発もない、地震も殆ど心配のない安全なオーストラリアに住んでいます。原発が怖くて逃げて来たわけではなく、狭い日本が嫌いで人生若い時に脱出することができました。
3月に東日本大地震が発生してあの津波の映像を見た時は、まるで映画をみているようでした。アクション映画の大好きな私には、CGで製作された映画にしか見えませんでした。被災に遭われた方の話をテレビで見たり、ブログ仲間からの発信で聞くと、映画ではなく実際に起きたことを実感しました。
福島原発事故は最初は地震だ!津波だ! と事故になった原因は天災だと言われていました。確かに今回の直接の原因はこの地震でしたが、建設された場所、老朽化した原発の再開など『事故が発生する前に被害の拡大を最小限に抑える努力』を怠ったった東京電力と日本政府、そして原子力発電に関わって来た関係役人や官僚による人災です。
この事故が発生してから広瀬隆さんが書いた本を二冊『原子炉時限爆弾』と『福島メルトダウン』を読みました。さらに日本から送られて来る『週間金曜日』を読んでいて、腹の底から煮えたぎって来るような怒りを感じました。と言うのは原子力神話のウソがあからさまにあばかれているからです。
原子力発電所を保有する電力会社と日本政府は、『原子力発電所がないと電力不足になる』とか、『原子力は安全でクリーン』なんてウソご託ばかり並べています。私は広瀬さんを全面的に信じている者ではありませんが、彼の本を読んで納得したことはいくつもあります。ご自身で読んで頂いて判断されて下さい。
東京電力だけで対応できるような事故でも被害額でもないことは分かりきっています。それなのに管理、業務指導すべ日本政府の対応はまずかったですね。責任転嫁、責任逃れだらけでした。事故発生直後にこんな文句を言ったら、時期尚早と揶揄されました。しかしその後の対応は皆さんの納得のいくものでしたか。
特に私の耳に残った嫌なことばがあります。記者会見の度に日本政府が繰り返して言ったことば、『直ちに健康に害を及ぼす量ではありません。』なんと無責任なことばでしょう。それなら毎日原発周辺で採れた野菜、卵、牛肉、そして福島近海で漁された魚介類はあなた達が責任を持って消費して下さい。議員や政府高官の方々が自ら率先して実施して頂いて実験台になって頂けますか?
もう原発にさよなら言いませんか。地震はもう発生しないのでしょうか?他の原発は安全なのでしょうか?地震大国日本にこれだけの原発があること自体、爆弾を抱えて生活しているようなものです。それも原爆の何百倍もあるよう放射能を抱えています。放射能汚染は現在でも進行形で続いています、そしていつ終わるかわからないのです。
『さよなら原発 1000万人アクション』に賛同された方はご署名をお願いします。
2011/08/07 at 8:32 AM
No more Hiroshima, Ho more Fukushima, No more 原発
『No More Hiroshima』 この日が来る度にこのことばが叫ばれます。あれから今年で66回目の『ノーモアヒロシマデー』を迎えましたが、ここシドニーを始めオーストラリアの各都市で講演会や行進が行われます。
シドニーでは11時からNSW教員組合会館でアメリカから核爆弾のスペシャリストを迎え、オーストラリアの平和活動家、UNのロビイストなどによる公演があります。そして午後2時から、セントラルステーションの近くにあるベルモアーパークから平和を呼びかける行進が出発する予定です。
トップホッケーチーム去年までこの『ノーモアヒロシマデー』は平和を念頭に、核爆弾廃絶をスローガンに運動が繰り広げられていました。またオーストラリアが兵士を派遣している、イラクやアフガニスタンからの早期撤退(と言ってももう10年近く駐在しています)を呼びかけていました。
しかし今年は更なる輪を広げています。3月11日の東日本大震災以来、日本中に不安を募らせている『原子力発電所から放出される放射能汚染問題』汚染地域は、福島原発周辺だけではなく、関東から日本全国へ、そして風や海流にのって海外へと広がっています。
そこで今年のオースとアリアのテーマは『No more Hiroshima, No More Fushima』核廃絶がメインになります。これは原子爆弾だけではありません、ウランを使用する核開発全体の廃絶です。その中には原子力発電所(オーストラリアにはありません)やウランの採掘などすべてが含まれます。
先日今日本で活躍している友達に会いました。彼女は日本とオーストラリアで仕事をしているのでときどきこちらに来ますが、今日この公園で『原発反対』の署名活動をしております。私も署名させて頂きましたが、皆さんも宜しければご協力お願いします。
『さよなら原発、1000万人アクション』
オーストラリアでは日本から輸入する食料品に制限が始まっています。ひじきはまえからヨウ素問題で輸入が禁止になっていましたが、わかめ、のりなどの海産物がいつ棚からなくなっても不思議ではありません。関東周辺で生産している輸入自動車の放射能の検査が先日行われました。いつか日本から来豪する人が全員『放射能検査』の対象になるなんて、おそろしいことが現実にならないことを願っています。
Hiroshima Day 2011 Org
2011/08/06 at 11:06 AM
FINA 世界水泳選手権の水着
昨日のイアン・ソープの記事を書いていてふと思い出したことがあります。イアン・ソープ言えば高速水着が開発される以前から、全身をつつむ独特の水着で水泳大会に出場していました。しかし今回のFINA上海2011ではどの選手もそんな水着を着用していませんでした。
イアン・ソープ1997年当時、オーストラリアの史上最年少記録となる15歳で水泳男子代表になります。2000年のシドニー大会、2004年のアテネ大会とすばらしい活躍を見せて、彼がカンフル剤になったのか、オーストラリアは水泳競技ではメダル数がアメリカについで2位になりました。
その後、彼以外にも全身水着で出場するオーストラリアの選手が増えました。大抵はオーストラリア水泳連盟が用意した水着を着用していましたが、彼だけはスポンサーのアディダスが提供した特別の水着を着用していました。
彼の引退後、高速水着と呼ばれる『レーザーレーサー』が開発され、2008年北京大会では殆どの選手がこの水着を着用します。その後行われた世界大会では、各国で新しく開発された高速水着を着用する選手のお陰で、世界記録が次から次へと連発されました。
世界水泳連盟(FINA)はこれに規制をかけるように動きだしました。FINAが主催する大会に出場する選手は、FINAの承認を受けた水着を着用することが義務づけられているようです。承認された水着にはマークと年度を表す文字が入っています。
FINAが公認する水着規定と言うのがあって、これは毎年変更になるようです。形状は男子選手の場合おへその下から膝まで、女子選手の場合肩から膝までだそうです。さらに素材や縫製などにも細かな注意点があるようです。
国内大会などでは、FINA承認以外の水着着用でも出場は可能なようですが、形状、素材などFINAの規定に準じることが義務づけられています。しかし承認されていない水着を着用した選手の記録は、公式記録としては公認されないそうです。
イアン・ソープは11月から競技会に出場するそうですが、そのためには承認された水着を着用しなければなりません。彼のためにスポンサーのアディダスは規定内で一番発揮できる水着を開発してくれるのでしょうか。
なお水着の規定についてはこちらのサイトを参考にさせて頂きました。FINAの水着に関するスタンスがこちらで見られます。尚来年の水着規定については今年の終わりまでに発表になるようですが、これで高速水着を着用しない時代に戻れるようです。
終わり行く高速水着時代 by Allabout
2011/08/04 at 2:42 AM
1996年の最高のコーチは誰でしたAustralia's Got Talent 優勝者 〜オーストラリアズゴットタレント
私がこの記事をアップする前から、前の記事にコメント頂いた方もいますが、今年のAustralia's Got Talentの優勝者が決まりました。オーディションの時にはウィットニーヒューストンの曲を歌い、終わった時にスタンディングオーベンションで拍手の嵐に包まれまれた、14歳の "Jack Vidgen" でした。
昨日の番組では、ファイナル10は少しづつ震いのように落とされて行き、ファイナル2に残ったが私の期待通り、"Jack Vidgen とCosentino" でした。どちらが優勝しても良いほど才能あふれていましたが、優勝は視聴者からの電話投票数できまります。
Jack Vidgen は優勝が決まる前にすでにレコード契約を交わし、Sony Musicから8月19日にCDデビューが決まりました。彼がファイナルで歌ったオリジナル "Yes I Am" は本日からiTuneでダウンロード可能です。CDは彼が今回の番組の中で歌った曲を中心にオリジナルもあるそうです。
一夜が明けたばかりですが、彼はゆっくりと優勝に浸っている時間はないようです。今日はテレビ出演やラジオ、新聞、雑誌のインタビューが目白押しに待ち構えていると思いますよ。最初のテレビインタビューはAGTと同じチャンネル7のSunriseでした。この番組の司会をしていたGrantはSunriseの天気予報お兄さんでもあります。彼自身天気予報をそっちのけで昨日の興奮を語っています。
インタビューを見ていて感心したのはJack Vidgenは14歳と言いながら、いつも落ち着いていて普通の大人よりもしっかりとした考えをもっていることです。『このAGT番組に出場しているらSMNでバッシングやブリーなコメントもあったようですが、それらを無視して自分の目標だけに焦点を合わせ行く』と言っていました。
去年の優勝者 "Justice Crew" は現在ラッパー&ダンサーとしてオーストラリアで活躍していますが、今度新曲もリリースすることになりました。過去にもレコード契約をした優勝者やファイナリストもいるようですが、アーティストして活躍する機会は少ないです。オーストラリアには歌番組などないので、私が見る機会が少ないのかもしれませんが。
昨日の番組は今回ファイナルに残った10人だけではなく、出場した中から人気のあった人達が集まって、ギャラコンサートのように少しづつ歌やダンスなどを披露しました。その構成や振り付けをする人達のすばらしさもありますが、まるでプロのショーをみているようでした。
ファイナル2に残った"Cosentino" にもこれからすばらしいステージが回って来ることを願っています。オーストラリア出身の歌手、俳優など世界で活躍しているひとはたくさんいるのに、マジシャンはまだ誰もいません。彼にはラスベガスで活躍して欲しいですね。
Jack VidgenにFacebookで殺人予告 bySMH
2011/08/03 at 8:42 AM
イアン・ソープ " London 2012に向けて"
第14回世界水泳選手権大会 上海2011も無事に終わりましたね。トビウオジャパンは残念ながら金メダルを獲得することができませんでしたが、、これからは一年後に開催されるロンドン2012のオリンピックに焦点を合わせて、練習にも熱が入ることでしょう。
今回の大会でオーストラリアはメダルの順位では7位でした。女子水泳選手は振るわずに金メダルを獲得することができませんでした。しかし総合メダル獲得数では、世界三大大国、USA、中国、ロシアには及ばなかったものの、合計16個で4位になりました。
メダル別で見ると金2、銀10、銅4ともう少し頑張れば、金が取れそうなポジションにいます。特に男子自由形400リレーでは宿敵アメリカを抑えて堂々1位でした。この種目ではアメリカが長年最強を誇っており、11年ぶりにオーストラリアが首位を奪還しました。そして男子100m自由で、オーストラリアの選手が優勝するのも久しぶりのことです。
オーストラリアの男子水泳選手の強さが浮き彫りになったのは、シドニーで開催された200年のオリンピック以来です。10倍の人口を持つアメリカの選手相手に互角に戦い、それまで水泳=アメリカのイメージを一掃してくれました。その時にメダルを獲得した選手はたくさんいますが、イアン・ソープの名前を忘れることはできません。
彼はこのシドニーオリンピック、及び翌年のFINA 2001福岡大会で圧倒的な強さを見せ、日本でも人気が上昇しました。優勝のみならず、自らの世界新記録を次から次へと更新して行ったのです。2004年のアテネオリンピックでも金メダルを獲得することもできましたが、現役選手として(金メダルを獲得することができる)限界を強く感じて引退します。
引退後はあまり彼のうわさを聞く機会も少なくなりましたが、2008年にはオリンピックのオブザーバーとして出席していました。最近ではロイヤルウェディングに招待されていたようですが、公の場で彼を見る機会は少なくなっています。
今回の選手権にはもちろん出場していません。現役に戻ることは表明しましたが、現在はトレーニングに励んでいます、それもこのオーストラリアではなくスイスです。11月から現役の水泳選手として競技会に出場する予定です、それまでにベストコンディションに持ち込まなければなりません。
引退してからついた贅肉を20kgほど落として、体調はシドニーオリンピック当時と同じくまでに戻ったそうです。トレーニングで選手としての体力はどれだけ回復したのでしょうね。もうすぐ29歳になるイアン・ソープ、選手としては遅いくらいの年齢ですが、『年齢は関係ない、問題は選手としての体力』と、今回34歳でTour de Franceを優勝したカデルエヴァンスにも感化されているようです。
彼の打ち立てた記録は次から次へと塗り替えられ、残っているのはわずかですが、彼は決して過去の人ではありません。今でも偉大なるオーストラリアの水泳選手です。たくさんいる水泳選手の中で若くして選手の名前を冠にしたプールが開設されたのは彼ぐらいです。
オリンピック代表に選ばれるには選手層の厚いオーストラリア選手に勝たなければなりません。その壁は現役に戻る以上に厳しいです。しかしこれから出て来るオーストラリア及び世界中の選手達のお手本になれるように、現役復帰だけでなくオリンピックにも出場して欲しいと願っています。
イアンソープ復活! 復帰後最初の競技会 2011年11月4日
イアン・ソープ 北京そして東京へ
オリンピックを目指す彼の映像と記事はこちらでご覧下さい。(英語)One year to go, Ian Thorpe worries about cracking Aussie team for London by Herald Sun
2011/08/02 at 11:12 AM
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