2012年5月15日火曜日

西欧の政治体制から学ぶもの〜


西欧政治から学ぶもの〜民主政治の成立を通して〜

京都産業大学文化学部 国際文化学科 小牧 円

 

はじめに

日本の社会は今、政治不信の真っ只中にいる。国で言えば衆議院や参議院、地方となると都道府県会議員などの選挙の投票率はかなり低い。衆参議員では50%後半、都道府県会議員にいたると50%前半もしくは半分を切る値になるかもしれない。しかし、なぜ日本国民は政治に関心がなくなったのだろうか。議会は行政を監視するという国民、住民の代表者が集まる重要な場である。日々、私たちの生活に深く根ざした問題が論戦されると言ってよい。しかしながら、その代表者を選出する選挙において日本国民あるいは住民は権利を放棄し、国および地方の政治を腐敗させていっている。その結果、議会は本来の役目である行政の監視を忘れるかのように、政党間争いを激化させ政治の主導権を誰が握るのかで泥� �の激戦を繰り広げている。本当の意味での政治、議会はどのようなものであったのだろうか。

ここで私は西欧の議会に着目してみた。例えば、イギリスの議会は歴史が生み出したと言っても過言ではない。国民の政治関心度も高く、活発な議会が繰り広げられている。このように歴史に裏打ちされた議会や国民主導の議会は西欧にはたくさんある。

今回は民主政治の成立(第一章)と現代の政治(第二章)と大きく2つにテーマを分けて政治を考えていく。第一章で古代・近代の民主政治の変遷を辿り明らかにしたうえで、現代の民主政治を考える。第二章では現代の西欧各国の政治を調べ、西欧政治の現状を探る。第三章でまとめと現代の政治体制の欠点を導き出してみたい。

 

第一章 民主政治の変遷

「民主」という言葉は頻繁に耳にするが本当のところの意味を理解することは難しい。民主から派生した言葉はたくさんある。「民主」とは、『広辞苑』から引用すると「一国の主権が人民にあること。」さらに「民主政治」とは、「民主主義にもとづく政治。国家の主権が人民にあり、人民の意思にもとづいて運用される政治」(『広辞苑』より)である。

では、頻繁に使われる「民主主義(democracy)」とは何だろうか。本などで出てきても、なんとなく理解している気になって、さらりと流している人も多いだろう。「民主主義」とは、「古代ギリシア語のdemokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)を結合したもの。人民が権力を有し、権力を自ら行使する立場をいう。」(『広辞苑』より)また、民主主義は古代ギリシアの都市国家において初めて行われ、近世に至って市民革命を起こした欧米に開花した。

今日の政治は、この「民主主義」に基づく政治を理想としている。しかし、国民の政治離れは深刻化し、国民は政治に参加できる状態にあるのに政治に対して無関心な態度をとっている。現代における民主政治は真の「民主的」、国民主導の下に行われる政治なのだろうか。本章では、民主政治の誕生から現代に至るまでの変遷を辿って、民主政治のあり方を探る。

 

第一節 民主政治の誕生と衰退

1.古代民主政治の誕生

今日、多くの国の政治形態は民主政治と言われ、国民が直接的・間接的に政治参加できる。民主政治は現代では当たり前のように考えられ、独裁政治というものはほとんど見られない。議会はフランス革命やイギリスの市民革命を経て、現代的な政治形態ができあがったかのように思われるが、この民主政治は一体いつ生まれたのだろうか。それは驚くべきことに今から2000年も昔の古代ギリシアのポリスで誕生した。とりわけアテネで行われていた民主政治こそ古代民主政治の典型例だと言われている。そこでは市民が立法から執行まで直接政治(=民会)を行っていた。

 

2.古代民主政治の衰退

現代政治の中で基本理念とされている民主政治は、ソフィストの登場や戦争などによって衰退して、政治の中心は支配者階級に統治されるようになった。では、なぜ民主政治という現代政治の重要要素が失われてしまったのか。


黒の男が演説を望んでいるフレデリック·ダグラス、

有名な哲学者にプラトンという人物がいる。彼は、著書『国家論』において「民主政を本来の国政から逸脱した問題の多い政治体制であるとし、哲学に優れた哲人王が自己犠牲精神で共同体支配を行うことが最も優れた国政であると説いた。」(8)また、著書『法律』で「万事に関して知恵があると思う、万人のうぬぼれや法の無視が、わたしたちの上に生じ、それと歩調を合わせて、万人の身勝手な自由が生まれてきたのでした。というのも、かれらは、みずからを識者であるかのようにおもうところから、畏れなきものとなり、その無畏が無恥を生んだのです。思うに、思い上がりのために、自分よりすぐれた人物の意見をおそれないということ、まさにこのことこそ、悪徳ともいうべき無恥で� �り、それは、あまりにも思い上がった身勝手な自由から生じてくるものなのです。」(7)と書いている。つまり、プラトンは支配者となるべき人物の必要性を説き、当時のギリシアで民主政治を批判する人物であった。そして、もう一人「政治学の祖」と呼ばれた古代ギリシア哲学者のアリストテレスも著書『政治学』の中で、理想の政治形態としてのポリティア(全体の利益に配慮)と、その変質した形態デモクラティア(衆愚政治)を区別したように、民主主義を自己利益のみ追求する政治形態として批判した。このように当時の民主政治は哲学者により批判の波にさらされていた。

そして、近代になると絶対主義がはびこり、主権は人民ではなく君主に属した。近代の思想家のT.ホッブスは絶対君主制を理想の政治形態としている。著書『リヴァイアサン』で、人間を利己的な存在としてとらえ、己の欲するままに自分の力を行使する存在と見る。各人は自己保全のために相互の自然権を侵害し合い相互不信を生むので、自然状態を「万人の万人に対する闘争」であるとした。この状態を回避するためには各人が自然権を放棄し、一人の人間もしくは合議体に信託しなければいけない。ここに主権を持った国家が誕生する。国家は自然権を放棄した各人の契約で成り立ち、それを統制する強力な権力が必要であると説いた。

 

第二節 近現代の民主主義思想

1.近代民主主義の登場

J.ロック、J.J.ルソーら思想家の出現で再び民主主義は日の光を見た。彼らは、社会や国家は自由で平等な個人の「契約」により成立するという「社会契約説」を説いた。

J.ロックは著書『市民政府二論』において、自然状態は自由・平等で一応平和な状態であるが、自然法を解釈・執行・処罰する権限が各人に委ねられていることから戦争がおこる可能性があると主張した。そこで人々は相互契約によって共同社会を形成し、共同社会から権力の信託を受けた国家によって社会は調整される。しかし、国家が信託を専制化した場合は、共同社会はいつでも信託を撤回しうる。この考えは、名誉革命を正当化し、フランス革命にも影響を与えた。またJ.ロックは国家介入からの個人信仰の自由を唱え、後の自由主義の先駆けにもなった。

J.J.ルソーは、自然状態を自由かつ平等で平和な状態であると考えた。しかし人間は自由であるがゆえに利己主義に陥り、不平等が生まれ、戦争状態を招く危険がある。それを回避するためには、全員一致の同意による契約によって政治社会が構築されねばならないと説いた。(『社会契約論』)各人は自然権を共同社会に委ね、同等の権利によって社会に参加する人民主権が成立する。彼の有名な言葉に「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間のだけのことで、議員が選ばれるやいなやイギリス人民は奴隷となり、無にかえしてしまう」(『社会契約論』)とある。彼は、代議制を否定し主権は決して代表されるものではないと考え、直接民主制を理想の政治形態と� �た。

 

2.「民主主義」と「自由主義」

古代ギリシアのアテネは自由市民による直接民主制だった。ただし、自由市民であったのは成人男性だけで女性は参政権を持たず、また古代ギリシアは奴隷社会であった。直接民主制が可能であったのは、奴隷制度により自由市民が労働から開放されて政治参加に十分な時間があったことと、都市国家が小規模で人口が少なかったからである。


で構成された大恐慌/ whtaホーム

西欧諸国そして日本も自由民主主義体制の下では「民主主義に基づく国民の政治参加」と「自由主義に基づく民間の自由な活動」が保障されている。しかし、近代ヨーロッパ当初では「民主主義」と「自由主義」は対立する関係に置かれていた。なぜなら、「民主主義」は労働者運動と結びつき平等を求め、人間の同一性を前提としたのに対して、「自由主義」は人間の異質性を前提とし、また貴族制を帯びていたので少数派が求めたものだったからだ。

 

3.現代の民主政治

古代の民主政治はプラトンやアリストテレスによって悪政と評価されたのに、現代ではなぜ最良の政治形態なのだろうか。それは絶対主義を打倒したJ.ロックやJ.J.ルソーによる近代民主主義思想によるものである。しかしフランス革命の挫折の後、保守主義体制が生まれたため、19世紀になると人々は再び民主主義を退けてしまった。そして、民主主義は海を渡り伝統的制度がなかったアメリカで発達し、民主政治が花開いた。アメリカは民主主義をスローガンに掲げて次々と戦争で勝利を揚げると、民主主義思想は一斉に全世界を駆け巡り勝利者のシンボルとして浸透していった。もともとアメリカは多民族国家だったため自由主義思想が根付いていた。こうして、アメリカによって「自由主義思想」と「民主主義思想」が共存する関係が認められるようになった。

現代の民主制とは、国民が選んだ代表者により政治が行われる間接的民主制である。これは古代の民主政治との決定的な差である。古代は小さな国家が多かったので、市民が直接的に政治に参加でき、「リーダシップや大衆の無関心」Gなどは存在しなかった。政治を国民自ら動かせるのであるから当然のことである。それに比べ、現代は一国家の規模が大きく人口も多いので、もはや直接民主制は不可能であり、自分たちの代表者を送り出すことしかできなくなった。(代議制)こうして、19世紀の国家は、代議制民主主義、つまり間接民主制に基づく議会政治が展開されるようになった。

 

第二章 西欧各国の政治と現状

この章では国家単位で西欧各国の政治体制を明らかにしていきたい。まずは西欧4ヶ国を取り上げ、政治体制を調べたところで、現在の政治や議会の問題点・疑問点などを詳しく解明していきたい。

 

第一節 西欧各国の政治体制

1.フランス

フランスはユニークな政治体制を持った国家である。なぜなら基本的な政治体制は大統領制なのだが、議院内閣制の一面を持つからだ。フランス革命後1791年に憲法ができてから、今の第5共和制(1958年〜)は15番目の憲法にあたる。つまりフランスは政治体制がころころと変わる不安定な国家だった。この危機を救ったのがドゴールである。ドゴールは新憲法を作り、大統領の権力を強化した。これが現在フランスの大統領制の始まりである。現在の大統領制は二回投票制なので最終的には保守と革新の一騎打ちになり、結果的に二大政党制へと安定政治に移り変わってきた。

 

2.イギリス

イギリス議会は最古の議会と言われているように歴史が長い。イギリスは立憲君主制の国家で女王もしくは国王を元首としているが、実質的実権は内閣(政府)が持っている。国王の権限は内閣に委ねられ、政府が国王の名の元に統治しているので、一切の責任は大臣に帰属する。これが「国王は君臨すれども統治せず」つまり国王がシンボル的な存在となった所以である。内閣は下院と国民に対して責任を負い、国を統治するので、議会は政府を監視する立場にあたる。議会は二院制をとっており、上院(貴族院)と下院(衆議院)で構成されている。首相は下院から選出され、国王(あるいは女王)により任命されることから議院内閣制である。日本やほかの国もイギリスの議会を手本にしている国は多い。イギリ� �の議会政治は歴史とともに歩み発展してきた。

 

3.イタリア


フォートマッキは、英国に落ちる

イタリアは1861年に統一された。そう考えると、まだ歴史は浅い国である。現在は共和国であるが、当時の政治体制は立憲君主制で国王の権限が強かった。この問題を解決しようとしたが、結果的にファシズム政権の下に置かれた。国民はこの反省を活かし、1946年に国民投票で王政が廃止され、ついで1948年に近代民主主義国家を実現したイタリア共和国憲法が成立した。官僚の汚職などで揺れた議会であったが、最近は政治改革が進み国民もこれからのイタリアの変貌に期待している。

 

4.スウェーデン

スウェーデンは一院制の国家である。それは貴族制でも連邦制でもないので二院制をわざわざ作るより経費節減になるからである。

ここでスウェーデンの注目すべき政治制度を三つ挙げる。一つ目は「意見上申制度(レミス)」というものである。これは国民も法案に意見を述べる機会が設けられていて、積極的に政府が働きかけているというものだ。法案の準備段階で関係者団体や、利害を有するものは議会に意見上申書という形で意思表示をすることができる。このように事前に国民に理解を求めるのがスウェーデン式である。国民の意見を取り入れるので法律が制定・施行されるまで非常に時間がかかるが、いったん法律化されると施行がスムーズに行われる。二つ目は「ペアリング」というものだ。これはイギリス議会にも存在するのだが、審議を公平に行うために議員が病欠で採決に参加できないときは、与野党間で話し合い同じ数だけ採� �に参加しない制度である。最後に「議員代行制」があり、閣僚になった議員の代わりに議会に出席してもらうというものだ。これは国民が選んだ議員が議会に出席できないというのはおかしいという考えから生まれた。

 

5.スイス

スイスは世界でも珍しい政治体制である。なぜならスイスには首相が存在しないからだ。行政のトップは七名の閣僚により意思決定される。これは永世中立国であることや、多民族国家であることが影響していると思う。また、スイスには政党があるが主要四政党に閣僚の配分が決まっている(2:2:2:1のように)。これも上記の理由同様、各政党に議会参加の平等を与えようとする考え方である。

 

第二節 西欧政治の現状

1.大統領制と議院内閣制

大統領制は大統領と議員を国民が直接選ぶので、民主的かつ効果的である。政府と議会の牽制により、公正な行政を期待できる。イギリスを手本とした議院内閣制は、国民の代表である議会が首相を決定しているので、首相と議会の対立は少なく政治は安定し、かつ民主的な政治体制を作ることができる。しかし、今日の問題点は福祉国家の進展により行政活動が多様になり、行政権の拡大が国の立法機関に影響を与え、事実上の主体となっている。また、政党制の発達に伴い、政府と与党の関係を強め、本来の議会のあり方、つまり政府と議会(与野党)という関係から遠ざかっている。これで国民のための民主政治と言えるのだろうか。

 

2.議会の位置づけ

西欧における政治の位置づけとはどのようなものなのか。第一節で前述したように、イギリス議会が中世に誕生した最古の議会であり、現代の議会の手本となった。中世となると様々な都市の市民たちの力が次第に大きくなる。当時は上流階級が議会を動かしていたので、国民の反発が大きかった。17世紀の市民革命であるピューリタン革命や名誉革命を経てイギリス議会は民主的に変遷を遂げてきた。だからイギリス市民は政治や議会に関心があるのかもしれない。政治はイギリスの歴史と共に歩んできたもので、国民の社会活動の一部を形成し、国民は政治に参加することを当然のように思っている。

フランス人は討論が好きだとよく言うが、その国民性が政治に対する議員また国民の取り組み姿勢に現れているのではないか。またフランス国民も19世紀の市民革命を経験しているので政治を身近に感じている。投票率も日本に比べてかなり高い。それだけ政治参加することに意義を見出しているのだ。

 

3.現在の政治


現在はイギリスやフランスにおいても政治不信がささやかれている。ここでフランスの例を挙げる。最近ヨーロッパ諸国では右派の行動が目立つ。フランスにおいても今や右派の動きが激しい。2002年の大統領総選挙の際には、極右のルペンが第二党の地位を得て決選投票に臨んだ。フランス国民は予想外の結果であった極右の存在に焦り、一致団結して議会から排斥した。では、なぜこのような事態が起こったのか。なぜなら、一次選挙の時点でフランス国民は安心していたのだ。どうせ多数会派が政権を握るだろうと。自分たちは決選投票でどちらかの会派に投票をしに行けさえすればいいと考えていたのだ。その証拠に一次選挙の投票率は70%と史上最低の投票率だった。(と、言っても日本に比べれば非� �に高い投票率である。)

このフランス国民の選挙はどのようなことを意味するのか。これは大量社会に潜む「無感動」から生まれているのではないか。個人が社会に参加しなくても、その他大勢が行動するだろうと期待して、もしくは潜在的に考えて、自分は行動することに興味を抱くことができない。アメリカの社会学者D.リースマンの類型によると、現代の政治的関心を表している例に「現代型無関心」が挙げられ、国民は政治参加が保障されているにもかかわらず、政治に対して冷淡な態度を示す。民主制下で行なわれる選挙は毎回投票率が下がり、政治だけが一人歩きする状態で、国民は政治活動に参加する意思を持っていない。果たしてそれで「国民のために行なわれる」政治と言えるのだろうか。

 

第三章 まとめ

西欧各国の政治を探ると、様々な政治体制や特徴が分かった。そこで共通するものは民主主義のもとに行われる「民主政治」であった。第一章で取り上げたように民主政治が現代では最良の政治形態だと言われている。民主主義を理念に国民の意思に基づいて行われる政治は、国民の利益のために行われるのが本来の形である。しかし、政党は選挙の際に掲げる選挙公約を軽んじ、国民を当選するための票数でしか見ていないのではないか。政治家は「政治」という枠組みで活動し、国民の意思は一体どこに反映されているのか。当選さえすれば支持者や国民を軽視してもいいのか。

政府・議会によって決定される法案は国民の要求する事柄から隔絶し、国民は政治に期待することができなくなっている。近代においてJ.J.ルソーが代議制や政党を否定したように、現代も議員や政党に対する国民の信頼度は薄い。なぜなら、間接民主制(代議制)は直接民主制と違い、国民が政治に「直接」参加するわけではないので、実際に働きかけられる場所は議員を通してでしかないからだ。そのうえ議員は個人よりも政党色の方が強いので、議員個人の意見が政治に反映されることは少ない。個人に投票した有権者は失望し、政治に関心を持たなくなるだろう。しかしながら、政府が民意ばかりに耳を傾けられない事情も分からないわけではない。昨今は世界規模の景気後退で、日本も例外でなく財政は瀕死の状態である。税収減による税金の値上げ問題や福祉事業のカットなど暗い話題ばかりが日々報道されている。

しかし、国民の政治不信の問題は政府の国民への働きかけにあると思う。たとえ国民の意思にそぐわない法案が可決されても、政府が積極的に国民に働きかけていれば少なからず国民の理解は得やすくなるだろう。スウェーデンのような「意見上申制度」はまさに現実の民主制に適っている。議会もそれを認め、積極的に国民に働きかけ国民の意思を尊重している。このように国民から働きかけないと動かない政治ではなく、国民にとってもっと身近で、政府・議会から国民に働きかける政治を作るべきである。そして、われわれ国民も政治が国民に与える影響をもっと真剣に考えなければいけない。投票という行為だけでも積極的に政治参加し、社会に向けて国民の意思表示をするべきだ。

 

 

【参考文献】

(1)『西欧の議会 −民主主義の源流を探る−』読売新聞社、1989年 

(2)『イタリア共和国バチカン市国サンマリノ共和国』財団法人 日本国際問題研究所、1987年

(3)『英国』財団法人 日本国際問題研究所、1983年

(4)『フランス共和国』財団法人 日本国際問題研究所、1984年

(5)下譲著『世界の地方自治制度』イマジン出版株式会社、1999年

(6)『最新 地方自治法講座D 議会』株式会社ぎょうせい、2004年


(7)プラトン著『法律』岩波文庫

(8)大矢吉之著『デモクラシーと現代政治』嵯峨野書院、1995年

 

【参考ウェブ】

(9)外務省ホームページ 

(10)よくわかる政治 

(11)議会と民主主義の歴史 

 



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